2016年3月21日月曜日

外食M社の異物混入事件で考える企業の存在意義について

M社の異物混入と市場の判断

外食大手M社の異物混入については、期限切れの鶏肉使用に続き、店舗で提供された食品への異物混入がテレビやインターネットで報道されており、加えて記者会見での回答が被害者への回答と大きく食い違ったことについて批判が集中しています。

相次ぐ不祥事を受けて株価も続落しており、経営に大きな打撃となるのではと懸念されています。

確かに打撃ではあるでしょうが、倒産することは無いというのが市場の判断のようです。

企業が倒産する理由


企業が倒産する理由は様々ですが、直接的には債務超過(保有している資産よりも借金が大きくなること)や資金ショート(約定の支払いに対して現金預金が足らなくなること)という形で現れます。

先の市場の評価で「倒産はない」というのをかみ砕くと、『M社の信頼回復が間に合わず、売上が減少して債務超過や資金ショートに陥るまでにはならないだろう』ということになります。

至極あたりまえのことですが、少し角度を変えてみてみようと思います。

営利企業の社会からの退場宣告


営利企業は、文字通り営利を業(なりわい)として設立される法人です。法人というのは法律上の用語ですが、社会で営利活動する際に我々人間と同じように権利や義務の主体になれる存在ということです。

法人格などと呼ばれることもあります。人間のように扱ってるんですね。そして死ではなく、倒産という形で社会から退場していきます。

営利企業の目的は文字通り営利ですが、その存在意義は『企業が得る営利以上の利益を社会にもたらすこと』だと私は考えます。(これは人間の存在意義と大きく違うところの一つだと私は思います)

社会の富はその時点時点で有限であり、我々は皆でそれをシェアしています。ここでいう富は金銭のみではなく貢献や効用のようなものも含まれます。メリット、と言い換えてもいいです。

そして営利企業の倒産とは『その企業が存続するのに必要とする富が社会へのメリットを超えており、社会からその存在意義を否定された』ともとらえることが出来ます。



社会「オマエもう要らないヨ」
企業「まじっすか!?」



よく営利企業がCSR活動と称して道路の掃除をしたり、発展途上国の支援をしたりすることがありますが、これらの活動は利他行為ではなく、社会に対して自らのメリットを大きく見せるための、むしろ至極利己的な行為と考えられます。

再びM社のケース


そこで、市場の「倒産はなさそう」という判断は、言い換えますと社会の構成員である我々や法人たちの総意が、いまのところ「使用期限切れの鶏肉を使ったり、商品に異物が混入したりしてる上に経営者の対応もお粗末だけど日本中からM社の店舗が無くなるよりはマシかな」ということになります。

しかし、M社については店長の残業代未払問題も記憶に新しいと思います。

営利企業は自己の利益の最大化を志向するため、コストを抑えて利益を獲得しようとする傾向があります。これが行き過ぎると様々な形で不祥事として顕在化するのです。

今回のM社の不祥事はかつて従業員(店長)から余分に富をガメていたことがバレて社会から退場宣告を受けそうになったので、一旦は反省したものの、今度は仕入業者や生産者から富をガメて、また退場宣告を受けそうになっているような気がしてなりません。

まとめ


なお、営利企業やM社が邪悪なもののように扱われていますが、あくまで営利企業として、元来そういう傾向を持っているということであり、企業に罪はありません。

むろん実際に富をガメすぎるかどうかについては、個体差があり、加えてここに書かれていることは、すべからく私見です。

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